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自費出版


エレナ、目を閉じるとき



泣ける本
 ISBN4-9901899-4-9

  エレナ、目を閉じるとき
作/中村しげき 画/池田八惠子 

十万の太陽よりも、さらに明るく輝く光が、
あなたの中にある。
古代インドの聖典『バガアッドギータ』

インド・聖地ベナレス。売春宿から少女を救い出し、故郷の村に送り届けようとする日本人青年。言葉も通じない二人の、たった一日の旅‥‥。第8回舟橋聖一顕彰青年文学賞最優秀賞受賞作品。

解説─あなたが世界を変えるとき
小学生高学年、中学生、高校生に向けて、人身売買と少女買春を理解する ための手引きを掲載。現地取材ルポルタージュとともに「人が売られる」 現実を伝えます。
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税込価格:1,200円(税別)
通信販売

オンライン立ち読み版(1〜51P)

『エレナ、目を閉じるとき』(PDF/1227KB) 
閲覧・印刷にはAcrobat Reader(無料ソフト)が必要です。
『解説ーあなたが世界を変えるとき』(巻末の解説全文掲載-PDF/409KB) 
閲覧・印刷にはAcrobat Reader(無料ソフト)が必要です。


解説ーあなたが世界を変えるとき(巻末の解説全文掲載)

※この文章は、人身売買と少女買春を理解するための手引きです。
【買春(かいしゅん)】売春婦を買う行為を買う側の責任を問う立場からいう語。


 私たちが生まれてきたわけ‥‥それは、お母さんとお父さんが出会い、愛し合ったことから始まります。
 愛し合うと、ともに時間を過ごし、もっと相手に「あなたが好きです。あなたを愛しています」と伝えたいと思います。そして、抱き合い、セックスをします。それはごく自然なことであり、何ら隠すべきことでも恥ずかしいことでもありません。むしろ、もっとも美しく、すばらしいことです。なにより、そのすばらしさの証として、私たちが生まれてきたのですから。
 しかし、この愛を表現する最高の行為、私たちが生まれてきた源の行為は、いつの時代も、どこの国でも、「愛」とはまるで逆のものに利用され、脅かされてきました。
 小説『エレナ、目を閉じるとき』には、娼婦(売春婦)の少女が登場します。
 娼婦とは、お客である男性とセックスをすることでお金を得る女性のことです。自分からすすんで娼婦となる女性もいますが、インドのように極度の貧困が存在する国では、親や近親者に売りわたされた少女たちが娼婦となっています。彼女たちにお金が入ることはまれで、多くは売春宿などに閉じこめられ、尊厳と自由を奪われた生活を強いられています。
 このような人身売買と少女買春は、けっして、昔の出来事ではありません。現在も、世界中で、数十万人の少女がお金で売り買いされ、彼女たちは、この世界全体の「愛」の闘いの最前線から、私たちに声なき声を送りつづけています。


 三ヶ月太陽を見なかったダージリンの娘

 いまから十年ほど前、僕はインドの首都デリーで、人身売買の現場を取材しようと、旧市街にある売春地帯にもぐり込んでいました。
 そこは、まるで人間の実験場のような、世界の底辺でした。
 売春地帯といえば、特別に囲われた地区というイメージがありましたが、立ち入ってみて、まず驚きました。たしかに囲われてはいるのですが、地上より上なのです。GBロードと呼ばれるその通りには、金物屋やくすり屋、水道管の倉庫などがならび、店舗と店舗のすき間に、せまく暗く汚い階段があります。その二階から上がすべて売春宿でした。
 湿気でむせかえるアリの巣のような部屋には、中年女性から十五歳くらいの少女が、ろう人形のような冷たい表情で並んでいました。あどけない顔に無理やり化粧をほどこしている少女もいれば、事故なのかハンセン病なのか、顔のつぶれた女もいて、形のなくなった唇に口紅をぬっていました。みな、ネパールの山村やインド各地の貧しい村から、バイク一台分ほどのお金で身売りされたといいます。
 何軒目かの売春宿に入ったとき、突然、何も見えなくなったと思えば、僕は用心棒の男たちに担がれ、ベニヤ板で仕切った小部屋に放り込まれました。案の定、ポケットをあさられ、身ぐるみはがれてしまいます。とはいえ、盗るものもなくなれば、彼らの敵意が消えてあっさり解放されたので、僕はしばらくその場にとどまっていました。
 床には、残飯が散らばっています。ここは娼婦が寝起きする場所でもあるのでしょう。そして、部屋のすみでは、明らかに目の動きがおかしい女の子が、ひざを抱いて座っていました。
 僕は、友人のインド人男性に聞いた話を思い出しました。
「私は、三ヶ月間、太陽を見たことがなかった娘を知っている。ダージリンから売られてきた娘だ。抵抗したので、小屋に閉じこめられた。三ヶ月間、一度も空を見なかった」
 ダージリンとは、紅茶の産地として有名な、デリーから千キロも離れた、インド東部の山村です。
「その娘は、いまも、このGBロードで暮らしている」
 と、彼は言っていました。


 売春村のシーマ

 デリーから車で六時間ほどの交通都市・バタープルの郊外に、ネパーリ(ネパール人)の売春村があります。一見、水道も電気もない典型的な農村の集落ですが、村の女性たちは、みな娼婦として暮らしています。そこには、都会の売春地帯とはまるでちがう、インドという国の、特殊な“人間のあつかい方”がありました。
 僕は、通訳をつれてその村に入り、シーマという名の、十五歳くらいの少女にインタビューすることができました。彼女は、ノーメイクで薄汚れた服を着ていましたが、背筋をのばして上品に微笑み、僕やガイドの男たちに囲まれても堂々として、なにより野生の馬のような生き生きとした目をもっていました。
 まず家族のことを聞きました。母親は自分と同じ仕事をしており、兄と弟は、農場で働いているといいます。
「君の父親は?」
 と、僕がたずねたとき、彼女はニコっと笑ってこう答えました。
「スリーピング」
 何のことだと聞きかえすと、通訳の男はポンポンとベッドをたたきました。シーマの父親は、ベッドだというのです。
 この村の女たちは、みなネパール人とのことですが、だれも身売りされてきたわけではなく、娼婦である母と名も知らぬお客の男との間に生まれ、一度も村の外に出ないまま、当然のように娼婦となるといいます。つまり、この村は、何代にもわたって生まれながらの娼婦が暮らす、文字通りの売春村だったのです。だからシーマも、売春以外の生き方を知らないのでしょう。次に僕は、
「何か、ほしいものはない?」
 とたずねたのですが、その答えによって、彼女の不思議な落ち着きと、上品な微笑みの理由が、少しだけわかりました。
「なにもないよ。ハッピーだから」
 シーマは、またニコッと笑っています。たしかに彼女は、しあわせそうでした。きっと、貧しくとも毎日ご飯を食べることができて、母親や村人たちに愛されて育ったのでしょう。
 この村が、いつどのようにできたのか、すでに村人たちにもわからないとのことでした。それにしても、貧しさから逃れるために、生きるために、このような村と、シーマのような生き方がうまれたのでしょうか。いったい、何のために彼女たちは生まれてきたのでしょうか。


 娼婦プジャ「電話をかけたい」

 最後の取材で出会ったのは、自分の歳を知らない、おそらくは十七か十八歳くらいの、プジャ(祈りという意味)と名のる女の子でした。
 デリーの売春地帯ではマフィアたちの監視がきびしく、なかなか取材ができません。賄賂をとろうとする警官におどされることもありました。そこで、僕は残りの所持金をつぎこんで、一人の娼婦を丸一週間、郊外へつれ出して聞き取りをするという交渉をまとめていました。売春宿のマダムが、どういう基準で選んだのかはわかりませんが、約束の場所につれてこられたのは、空色のサリーをまとい、肩にとどかないほどの髪を品よくそろえたプジャでした。ただ、会って握手をしても、僕の目の前で縮こまり、がたがたと震えていました。
 初日、僕は、バザールで買ってきた財布に、おこづかいとしていくらかのお金をいれて渡し、監視役の男がいないすきに、「自由に街で遊んできていいよ」と、プジャに伝えました。けれど、彼女はホテルの部屋から一歩も出ようとせず、食べ物も、買ってきたコカコーラにも手をつけず、部屋のすみで、やはり縮こまるように座っているだけでした。
 三日後、初めて外につれ出すことができました。そして、歩きだしてすぐ、意外にも彼女から「おねがいがある」と身ぶりで伝えてきたのです。
 それは、電話でした。近くの電話屋に入ると、プジャはもどかしく番号をプッシュし、ヒンディー語の方言なのか、自分の故郷の言葉で話しはじめました。電話をしている彼女は、本当に楽しそうでした。僕はこのとき初めて彼女の声を聞き、笑顔を見ました。
 翌日の朝も、プジャは、また「電話をかけたい」と必死の身ぶり手ぶりを見せました。もう一度、昨日の電話屋へつれていったのですが、今度は、なかなかつながりません。長い時間、受話器をもったまま、待って、待って、「また後で来よう」との僕の声も聞かず待ち続け、やっとつながったかと思えば、いきなり泣き出したのです。ぽろぽろと涙の粒が、電話機の上にたれ落ちました。何日もおびえ縮こまっていた彼女が、電話屋で人目もはばからず、子どものように泣いたのです。
 後にわずかながらわかったことでは、父親が重い病で寝たきりとなり、その他にも家族に不幸がかさなって、そんな大事なことを、今日この電話ではじめて知ったというのです。ともかくも、この涙が、彼女の置かれている立場をすべて表していました。
 僕は、残りの二、三日でもプジャを家に帰すことができないかと監視役の男と交渉し、追加金と様々な条件をもって、なんとかそれが叶いました。長距離バスに乗りこむとき、彼女は一度だけふりかえり、僕に握手の手をさしのべてきました。そして「またデリーで会えるのか?」と聞いてきました。僕は「イエス」と言いましたが、その後、プジャとは、会うことも、消息を聞くこともできませんでした。
 翌年も、インド・ネパールで取材を続けました。けれど、あちこち回ってわかったことは、相変わらず、極端でどうしようもない現実だけでした。
 日本に帰るたびに、現地で見聞きしたことを、どう書けばいいのか、救いのない話をどんな結論で締めくくればいいのか考えましたが、結局、言葉が見つからず、記事にまとめることはできませんでした。唯一、インドを舞台にした、短い小説ができただけでした。
 いえ、きっと、言葉が見つからなかったのは、僕自身が「この現実は変わらない、自分には何もできない」とあきらめていたせいかもしれません。
 その後も、この問題とかかわり続ける中で、「自分には何もできない」という思いがただの思いこみであったことに気付いたのです。


 奴隷の子どもを買い戻した小学生たち

 一九九九年、アメリカの小学生が、スーダンの奴隷の子どもたちを解放するという、ほとんど前例のないニュースが世界中に伝えられました。
 以前から人権団体が「内戦や部族間の抗争が続くアフリカ諸国では、親をなくしたり誘拐された子どもたちが売買されている」とのレポートを発表していました。武装勢力は男の子を少年兵に、女の子を兵士たちのセックス相手にすることもあれば、奴隷商人が子どもたちを買い取り、工場や農園、売春宿に転売するケースもあるといいます。
 そんな中、コロラド州デンバーの小学四年生たちが、奴隷となった子どもたちを一人五十ドルから百ドルで買い戻せるということを知りました。そして、彼らは、それを実行したのです。
 インターネットで募金を呼びかけ、「最大の罪は少数の人の破壊ではなく、大多数が傍観(何もしないで見ていること)することだ」という故マーチン・ルーサー・キング牧師の言葉を刷りこんだTシャツを売ってお金を集め、スーダンの奴隷商人から、約千名の子どもたちを買い戻し、解放しました。
 ただ、彼らの行動は、武装勢力の資金を増やし、人身売買を助長しかねないとの批判もあがり、この問題の難しさをうきぼりにする結果となりました。しかし、人間が牛やロバのように売買されているという現実は世界中に伝わり、その後の国際会議の開催へとつながっていくのです。


 少女買春とペドファイル(幼児性愛者)

 人身売買と少女買春は、ひと昔前の日本にも、公然とありました。農村の娘が都市の遊郭(売春宿)へ売られていく光景は、凶作の年の恒例で、村役場がその仲介にあたることもあったそうです。
 現在でも、貧困ととなりあわせの国々では、けっして珍しいことではありません。特に、一九八○年代から九○年代にかけて、タイやフィリピンでは、少女買春目的の外国人男性が多く訪れる国として知られていました。
 この“問題”が表面化するきっかけとなった事件があります。一九八七年、フィリピンのオロンガポ市で、十一歳のロザリオ・バルヨットちゃんが、口から胆汁を吐き、地面でもがき苦しんでいるところを発見されました。病院に運ばれて手術をうけたところ、体内から折れまがった異物が摘出され、数時間後に亡くなりました。
 彼女は、オーストラリアの男性によって、日本製のバイブレーター(男性性器の形をしたアダルトグッズ)を性器に入れられ、それが体内で破損、取り除くことができず身体が腐りはじめ、ひどい悪臭をはなったまま路上で暮らしていたのです。当時、このような事件は日常の出来事だったと、事件を告発した神父は伝えています。
 少女買春の背景には、ペドファイル(幼児性愛者)の存在があります。彼らの中には、マニア向けの雑誌やビデオで満足する人もいれば、子ども相手のセックスや性的虐待でしか欲求を満たせない人もおり、自国では犯罪となることを、第三国で行っているのです。そのために多くの少女が、貧しい農村から集められています。

 ところが、一九九○年代に入り、この事態をかえようと、政府、非政府組織を問わず、世界中で取り組みが始まりました。その活動には、多くの日本人が参加しています。
 大阪府池田市に、カスパルという支援団体があります。代表者である近藤美津枝さんは、一九八九年に自ら団体を設立するまで、毎日家事と仕事に追われている、当時五十四歳の“大阪のおばちゃん”でした。それまで、外国へ行ったこともなければ、関連団体で活動した経験もありませんでした。しかし、
『タイでは、七、八歳の少女が、日本人をふくむ外国人男性に売られている』
 という新聞記事のこの一行を読んで強い衝撃をうけ、人生が一変したといいます。働きながら少女買春の情報を集め、現状を訴えるために大使館や領事館をまわり、ローマ法王や各国の元首に数えきれないほどの手紙を送りました。何度も現地を訪れて協力者のネットワークをつくり、資金を集めました。
 彼女がたった一人で始めた活動は、たくさんの人を動かしました。現在までに、カスパルは、タイとフィリピンに子どもの保護施設・職業訓練施設を二十戸以上も建設しています。我が子を売るしかなかった貧しい村が、経済的自立の手段を見つけ、売買春に対する認識も変わりつつあります。


 あなたが世界を変えるとき

 人身売買と少女買春をとりまく現状は、国際的なキャンペーンも広がり、各国で法律や警備体制が整備され、改善されてきました。しかし、マフィアやシンジケート(地下組織)は、多大な儲けが得られる売春業をやめることなく、活動エリアを、取り締まりが厳しくなったタイ・フィリピンから、ベトナム・ミャンマー・カンボジアへ移し、いまだアジアだけでも、数十万人の少女が娼婦として極限の生活を強いられています。
 僕は『エレナ、目を閉じるとき』という小説を通して、何度となく、この問題を伝える機会を経験してきました。もちろん、重いテーマゆえ、僕が話し始めたとたん、みんな言葉を失います。そして、胸をかきむしられるような、頭の中をぐちゃぐちゃにされたような、独特の感情におそわれ、激しく心を動かされるといいます。
 その心の動きとは、悲しみや怒り、無力感というものでしょうし、同時に“サイン”ではないかと僕は思うのです。この問題が、遠い外国の出来事でありながら、一人一人の愛を求める行為、愛し合う行為、愛そのものと深くかかわっているというサインです。色も形もにおいもないのに、身近で、あたたかく、誰しも絶対に必要な愛というものが、愛と対局のものによって刺激されているのではないかと。
 古代インドの聖典が伝えるように、もし私たちの中に、太陽にも優る輝かしい光があるのなら、世界を変えることも、たやすいはずです。この“サイン”は、感じる心こそが、不条理な現実に立ち向かう、唯一の力であると示しているように思えてなりません。すべては、たった一人が動きだすところから始まります。私たちは、いつでも、その一人になれるのだと。
 
 
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